時空を超えた”こだわり”
古くは、「彫刻家」、「宮大工」及び「大工」として、建築業8代、建具業5代、現所在地(神奈川県中郡二宮町)創業で3代目になる”建具の小清水”。脈々と受け継がれた小清水家伝統の技術は、現代表に継承されております。
また、現代表は祖父にあたる”小清水半蔵”に3歳の頃、手を引かれて散歩をした記憶しかなく、建具技術の指南はほぼされてはいません。しかし、2代目”小清水春雄”や現代表の大叔父にあたる”小清水秀之助”は、常に”手を動かせ””体を動かせ”、そして行動をしたらすぐに周りの先輩職人から”これはダメだ””こんなやり方じゃない”と厳しい叱責を受けて、若い頃は訳もわからずただ目の前の建具を製作していたとのことです。そして一貫して教わったことは”手間は惜しむな”というこだわりです。
現在、多く溢れる工場製品や既成品の建具に対して、現代表曰く”昔のこだわりがない”と嘆きます。生産性だけを重視したこだわりの無い製品が多く溢れる中、”お客様目線”のこだわりが代々、建具の小清水を支えてきています。なぜそのようなこだわりが育まれてきたか?そのルーツを紐解いていきたいと思います。
6代目代表 小清水 半蔵
父と祖父共に神奈川県中郡中井町で建具屋を生業としている家系で生を受ける。若かりし頃は、日本全国を武者修行のために行脚し、旅途中に他人の家々に宿泊させてもらう代わりに、一宿一飯の御礼として建具の製作や修繕を行っていた。これは当時、”西行”と呼ばれ、弘法大師と同様の修行方法を行っていたと2代目より伝えられている。
長い修業を経て中井町から現所在地(神奈川県中郡二宮町)で満を持して新たに創業。大正末期に「関東一」と謳われ、”建・半”の愛称で親しまれた初代”小清水半蔵”。そして常にお客様との密な意思疎通が必要となる西行としての経験が”お客様のことを第一に考えた”こだわりの建具技術を育んでいったとされている。
7代目代表 小清水 春雄
関東一と謳われた初代代表を、斬新な創造力で驚愕させた天才建具師。職人気質で仕事一筋の2代目代表”小清水春雄”は、最高の建具を作り、お客様の信頼に応えていた。仕事ぶりは天才そのもので、現代表が間近で”機械より早いほぞ穴空け”を何回も目の当たりにしている。
また2代目が作製した三組手式間仕切り欄間は、自分を超えたと初代が認める最高級の一品である。また2代目の実弟にあたる小清水秀之助と共作した香図組子の仏壇は、現代表でさえ完璧な再現は困難と言わしめる最高級品である。そして現代表が、今なおも驚かされることが”見えない”こだわりである。建具製品の多くは接合に「ほぞ」が用いられているが、ほぞは耐久性において重要であるにも関わらず、完成後は見ることができない。だからこそ利益や楽を考えれば、当時の法規制では全く問題にならない。にも関わらず、”2枚ほぞ”や二度と引きぬくことのできない”地獄ほぞ”が多用されている。これは施工機械が無く、膨大な仕事量があった当時を考えると驚愕せざる負えない。
8代目代表 小清水 茂
2代目代表の長男として生まれ、父の遺志を引き継ぐ現代表。
先祖代々受け継がれる”お客様目線のこだわり”は、先代と同様に多くのお客様から厚い信頼を得ており、建具製作だけでなく先祖代々お世話になっている地元への思いも熱く積極的にボランティア活動も行っている。その人柄からあるお客様からは”養子にしたい”と言われる程である。もちろん多数の実績や受賞歴があり、今なお積極的に建具製作を行っている。近年では、先代を超えるべく、伝統をモダンな要素を併せ持つ”組子技法を用いたランプシェード”やより芸術性が高い”ミニチュア建具”等の販売も積極的に行っている。
受賞歴
昭和59年二宮町商工会優良事業所表彰
元 神奈川県建具協同組合平塚支部長(平成23年6月~平成25年5月)
平成26年神奈川県建具協同組合より感謝状を授与